パックランドでつかまえて テレビゲームの青春物語

ポケモンの会社ゲームフリーク代表取締役ポケモンの主人公「サトシ」のモデル。田尻智氏が自身の青春(≒アーケード、ゲーム)をふりかえるエッセイ。雑誌「ファミコン必勝本」連載(1988〜89)→「JICC出版」より単行本化(1990)→エンターブレインより再刊(2002)。ふりかえるって言ったって、田尻氏65年生まれってことだから、執筆時23歳!すでに老成、昭和のホールデン・コールフィールドか?

取り上げられているタイトルはスペースインベーダー(1978)から始まりギャラガ'88(1987)まで全13本。

1か月の小遣いをほとんどすべてインベーダーに注ぎこんでいる僕だけど、どうしてもスコアを抜けないやつがいる。なぜ由紀夫は華麗にプレイできるのか?(インベーダー撲滅隊長 SPACE INVADERS 1978)。コンピュータがまだ「パーソナル」になり始めた時代。

日曜日の午後、近所から優雅なピアノのメロディーが聞こえる・・・、あの子が弾いているんだ・・・。(カノン CRAZY CLIMBER 1980)ふざけたゲーム(失礼!)「クレイジークライマー」と幼なじみへの淡い恋心・・・。素敵な組み合わせだね。

自分の手でゲーム雑誌を作ろう。僕みたいなゲーム好きは全国にいるはずだし、そんな人たちに読んでもらいたいんだ。その頃新宿のゲームセンターで新しいゲームを見つける。(ミニコミへの決意 XEVIOUS 1982)ゲームフリークの名が世に出るきっかけになったミニコミゲームフリーク」創刊とゼビウスの流行。結末にゼビウスの父「E」も登場だ!

風営法施行前夜。明日から0時になるとゲームセンターが閉まってしまう・・・。ゲームフフリーク全員集合だ!(ラストナイト・カーニバル 1985)
施行は1985年2月13日午前0時。これ以降年齢による立ち入り時間制限、午前0時以降の営業禁止が始まる。

手元にある1本のカセットテープ。高校生だったあの頃、ゲームの音をずっと聴きたくてテープレコーダーをもってゲームセンターに通ったっけ(想い出のカセットテープ 1985)ゲームミュージックの話。世界初のゲームミュージックアルバム「VIDEO GAME MUSIC」!個人的にゲームミュージックってほとんど興味ないけど、これはずいぶん聞いたなあ。友人からテープでもらった。確か裏面がムーグもの(MOOG INDIGO?)でセットで聞いとりました。サイケアウツ(懐!)がラリーXをサンプリングしてたのもこの頃か。

当時流行していた「ニューアカ系」中沢新一氏による「シャングリラ(ピンボールマシン)」、「スペースインベーダー」、「ゼビウス」に関する「ゲームフリークはバグと戯れる SPECIAL FLAG」。

日常生活の中に「ゲーム」が入り込んできた最初期の話だけど、マクルーハンのメディア論でいうと「ゲームの内容」が「良い/悪い」ではなくて、ゲームという「メディア」自体が以降の我々の生活を変革させていったということになるんだろうな・・・。なんちて。